奨学金を借りる意味は

  • 2017.04.22 Saturday
  • 03:15

JUGEMテーマ:学問・学校

 

大学ごとの奨学金延滞率ランキングなるものが東洋経済のこの記事に出ました。

 

私自身、高校・大学と奨学金を借りており(その頃は半分給付型だった)息子たちも奨学金を借りさせて大学に行かせたのであります。前職は教師には親に向かって私立を勧めておいて、職員の子供は私大(特に理系)に行かせる学費の支弁に窮するほどの給与しか与えていなかったので、正直心苦しいとは思ったのですが、借りさせたわけであります。

 

お恥ずかしい話、妻が脳梗塞になったときにも重なったため、学費以外にも使わざるを得なかったことが親として今でも心苦しく思うのですが、幸い2人の息子とも地方公務員として働いておりますので、返済ができない心配は今のところありません。

 

さて、この延滞率ランキングを見ると驚くのですが、上位には通常「Fラン」と呼ばれる大学が並んでいます。記事へのコメントにはボロクソに書かれていますが、大きくまとめると次の3つになるのではないかと思います。

 

,海猟度の大学に行っても安定した職業につけるはずがないので、借りる側の無責任さへの批判。

学生に奨学金を借りさせてそれを学費という名前で回収する大学ビジネスに対する批判。

奨学金という名の「ローン」であるから、中高で金融商品などに対する知識の啓蒙がない現状では借りる側も半ば被害者であるという意見。

 

それぞれに説得力ある意見ですが、Fラン大学に行くのは、初等教育段階での教育が不十分であり、その程度の学力しかないから(それ以外にアホでもOKのAO入試で入学する生徒もいますがそれは論外として)でしょう。そう、塾にも予備校にもほとんど通わず(通えず)だったら、こうなるしかないのであります。

 

しかも「国際」ナンチャラとか横文字交じりの学部を卒業しても、どのようなスキルが得られるのか明確ではないのです。

 

たとえば、教員免許を取るのは必要な単位をとればその資格は取れるのですが、それがそのまま仕事(=就職)に結びつかないということはよく知られています。薬学系・医療系(看護や理学療法など)は大学教育を経て得た資格で就職できるのですが、それ以外は学生自身がかなり意識しないと大学で学ぶことが就職や社会的評価に活かされないことが多いようです。

 

特に文系の学生は相当な危機意識をもってなければ、今後はIT化で仕事を奪われる一方になります。

 

ランキング上位の大学を見ると、そうしたことをわかって学生を育てているとは思えない大学も多々あります。そういうところは学生が履歴書を書くと、特技欄に「普通免許」と「英検2級」しか書いていないのです。これって高校卒業レベルですよ。

 

高校卒業程度で取得できる資格・特技をとるため、4年間、借金してま大学に行く必要があるのでしょうか?(中には専門学校みたいな講座が多数存在するところもあります)

 

私は受験生(特に文系の生徒)に、将来のキャリアデザインをしっかり作っておくように勧めています。私の時代では高卒と大卒の生涯賃金はどちらが上かなんて記事もあちこちにありましたが、(4年早く稼げるようになるとか、会社での出世の違いとかいろいろな要素を算定していましたが、今のように会社の昇進制度も多様化している現在では算定が難しいと思います)高卒で働くという選択肢自体が社会的風潮によって無くなってきているので、いきおい大学という選択肢を選ばざるを得ないのです。

 

従って、18歳での大学進学が所与のものとしても、その先を考えることがいま必要なのではないでしょうか。そして、それが借金してまで進む価値のあるものであるかどうかをよーく考える必要があると思うのです。

 

財力が無くて奨学金に頼る必要があることは、決して恥ではありません。キャリアデザイン通りに進めれば、自分の次の世代は奨学金を必要としなくなるかもしれないのです。

 

その意味で言えば、今も昔も教育は「身を立て名を上げる」チャンスなのです。

 

 

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学歴フィルター

  • 2015.06.04 Thursday
  • 19:22
JUGEMテーマ:学問・学校

そんなものがあろうかと言われますが、公に認めていない「不都合な真実」です。

何も今に始まったことではなく、昔の終活、つまり各大学に企業の求人票が来ていた時代から、説明会会場に行くと、大学グループごとに会場が違って、一番レバルの低い大学グループでは会社案内を渡すだけでオシマイ、というのこともありました。

確かに、下位の大学(以下Fラン大)はひと昔前のFラン大よりもさらに学生の学力的・人間的レベルも低く、しかもAO入試(別名アホでもOK入試)で入ってくるものですから、大学と呼べるのかとまで思うのです。(私の住んでいる市内にもいくつかFラン大学がありまして、その学生が通学で使うバスに時々乗るのですが、バスの中でまるで小学生のように騒ぎまくって運転手に注意を受けているのを見聞きしたのも一度や二度ではありません。大学がアホだと通っている学生もクズばかりのようです)

企業の側から言えば、受験勉強程度のことにも頑張って結果を出せない奴に仕事ができるかということでしょう。それに、入社して20年も経過すれば、難関大学の同期はいずれどこかでそれなりの地位を占めている可能性が高いわけですから、人脈といったもっとも面倒なつながりを構築するにも有利だという思惑もあるのかもしれません。

百歩譲って大学名を伏せて採用しても、ほぼ大学レベルと同じ序列になるようです。

じゃあ、Fラン大学を出たらもうダメかといいますと、そうでもないのです。アタマを使えなければ体を使えばいいのです。卒業証書という授業料領収書をもらっても、自分の領収書は今の社会ではナンの役にも立ちませんから、裸一貫で進んでいくしかないのです。

そう、イノベーションを起こせるのは、こうしたfoolishな人かもしれませんね。



 

フリースクールへのボランティア

  • 2015.05.10 Sunday
  • 17:46
JUGEMテーマ:学問・学校
最近、親の収入格差と子供の学力差に相関関係にあるというニュースを耳にして、母子家庭で育った私は何とも言えない苛立ちを覚えるのです。

かつて、一億総中流と言われ、親の収入格差もそれほどひどくなく、学力差は文字通り「自己責任」と思われてきましたし、私も長くそう思ってきたのです。塾に通う生徒も少なく、通っていても塾自体の教務力が低かったため、塾はできないから行くものだというイメージがあったのです。

ですから、私なんか母子家庭で塾とは縁がなくても、それが大きなハンデとなることはありませんでした。(尤も、今思うと、そのおかげで随分と無駄な努力もしたので有りあますが…。
しかし、団塊ジュニア世代の受験、度重なる入試制度の変更、少子化に向けて収入とブランドを維持するための学校側(特に私立大学)の入試の多様化等々、もはや個人では対処できないまで複雑化してしまいました。塾という情報発信源に近づかないと、すぐに情報弱者の仲間入りになってしまいます。
また、公立復権の錦の御旗のもと、公立高校入試でさえ、トップレベルの学校は普通に学校の授業を受けただけでは太刀打ちできないまで難しくなり、同じ才能を持つ子であれば、対策をしてもらえる生徒の方がダントツに有利であるということは周知の事実です。国公立大だって東大生の親の年収は一般サラリーマンの年収の1.5倍ほどもあることに代表されるように、貧しくても優秀な学生は国公立大学に行けばいい、なんていう単純図式さえ消滅してしまいました。あまつさえ、在学中留学を必須とするなんて馬鹿なことをいう大学まで出てきましたので、よしんば貧しくても国公立大学に入っても、学生生活を続けられなくなる可能性まで出始めているのです。

超一流大学卒の連中がしたり顔に語る「学歴だけが人生ではない」という言葉の中には、もはや貧乏人は才能の有無を問わず高等教育を受けなくてもいいという悪意が込められているとしか思えません。
人生の第3コーナーを回っている自分は、自分の受験指導経験をゼニを得るために使うばかりでなく、「磨けば光る」貧しい原石たちを磨くのにも使ってみようかとまで思っています。未来を創るのは金持ちだけではないのです。意欲と才能があれば、どんな道も拓けるといったダイナミズムを失ったら、この国は本当にダメになってしまうと思うのです。
少しは「老後」の楽しみが見つかったような気もしました。


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中高年の受験勉強

  • 2015.05.02 Saturday
  • 13:11
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特に宣伝しているわけではありませんが、英語を教えてくれないかというお問い合わせが続いています。

中高生なら一定程度理解できるのですが、お問い合わせいただくのが中高年の方ばかり。どうも萩本欽一さんが大学に入学したのが影響しているのでしょうか。多くは大学院に行きたいということですが、社会人枠ですと中には小論文と面接だけというところも多く、英語なんか必要ないと思ったりもするのです。

ところが、この社会人枠、直近まで会社員等として何年か働いてきたというキャリアが必要であることもあり、特に主婦を何年もやっていた方などにはハードルが高くなってしまって一般の大学院入試と同様に英語の入試やTOEICのスコアを必要とされます。(大学によって異なる)

大学院入試専門の塾もありますが、英語と10年以上離れていた方にはそれを受講するのもハードルが高いのです。そのほかお問い合わせいただいた方々のお話から次のようなお悩みがうかがわれます。

ヾ霑辰箸い辰討發匹海ら始めたらいいのかわからない。
△△泙蠅砲盍蔽韻覆海箸鯊梢佑醗貊錣砲笋襪里魯廛薀ぅ匹許さないし、他人に知られたくない。
2隼や仕事との関係で定期的な通学が難しい。
ぜ分である程度はできるのだがペースメーカー(学習指針)となるもの又は人が欲しい。
ヌ榲達成までの時間軸を自分のライフプランに合わせたい。

だから個別指導してくれないかということなんです。半分ぐらいの方とは相談料を頂いた上で直接お目にかかり、いろいろ事情を聞き、1件だけはお受けいたしました。
本業での許認可もそうなんですが、「…であればいいな」程度ではどんなこともうまくいくことはありませんし、費用もそれ相応にかかりますので(どこかの家庭教師会社が宣伝している大人の家庭教師とは違って、教える側の指導経験も実績も公表しているわけですから)プロとして無責任なことはできないのです。
ただ、今後こうしたご要望が増えてきたらどうしようかと、迷っているのです。お断りした方にはアドバイスだけはさせていただきましたが、少しでも他人の喜ぶ顔が見たいという私の思いとすり合わせると、今後は受けざるを得ないこともあるでしょうね。


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これ以上大学を作ってどうするのか

  • 2012.11.14 Wednesday
  • 00:39
長いこと更新を怠っていてすみません。さすがに家事も仕事もとなると気力が持たなくなってきます。

さて、田中真紀子文部科学省大臣の新設大学・学部の許認可について随分と賑やかに騒がれ、大臣をまるで人格破綻者のごとく評する意見が紹介されておりましたが、方法論はともかく、行っていることは至極まっとうなことだと思うのです。

少子化の時代、大学の半数近くが定員割れを起こし、定員の充足のため留学生という名の不法就労者を多数受け入れる大学や、中学生レベルの学力しかない学生に自動的に4年間で学士号を与えるトンデモ大学が多数あるにもかかわらず、この現状改善に何もせず書類が揃ったから大学設立を認可しますなんて(補助金という名目で税金が投入されるにもかかわらず)おかしいという議論が全く出てこない方が異常だと思うのです。

今更人気がない偏差値40台の女子大に新設学科作ってどうするんですか?人口減少著しい地方に芸術系の学部作ってもそこからナニが生まれるのでしょうか?

受験生が可愛そうだとか、今まで準備に努力してきた人たちの苦労とか、本質を議論する前に情緒的なもので是非を図ろうとするのはどうにも理解できません。

今回問題になった大学・学科が20年後も存続できるという保証はないんです。もっとも潰れても今回声高に設立を主張した人は誰も責任を取りませんけどね。生きているうちに自分の出た大学がなくなっていることほど情けないことはないのではないでしょうか。そうなったら受験できてよかったねなんてブラック過ぎて言えませんぜ。

難関大学出身者とFラン大学出身者では同じ10人採用しても、前者は8人が使いものになるけど、後者は8人が使いものにならない、というのが世間一般の認識です。ところが、最近は前者もヘタすると半分以上が使いものにならないことが珍しくありません。

それは、学生数維持のために系列高校を増やしたり、推薦入学者数をふやしたりしているから、いきおい、質の劣化が起きているのです。

ですから、最近は推薦や内部進学で大学に入学した学生の評価を下げる企業も出はじめているそうです。少し淘汰されないと肩書きだけで人間を判断できなくなってきたんでしょうね。



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俗に言うFラン大学について考える

  • 2011.11.22 Tuesday
  • 14:42

今から20年ほど前、団塊ジュニアの受験生時代を思いだすと隔世の感があります。当時は偏差値50以下の経済学部は首都圏にはなく、どうしても大学に行きたいと言って地方の私大に行く生徒もいましたし、女子では短大すら合格できない生徒も多数いました。早慶上智・(G)MARCH・日東駒専・大東亜帝国といった序列のどこも受からないなんていう生徒は山ほどいたわけです。

時は過ぎて、日東駒専・大東亜帝国の各大学は当時より偏差値的には5から15も下がり(さすがに予備校では広告収入の問題もあるのでそこまで露骨にはデータを下げませんが、実際受験指導をしているともはや、公立高校の学区4番手校ぐらいまでは高3から勉強しても日東駒専は合格します)こうしたバブルに乗り遅れた大学の中には「ボーダーフリー」になった大学もあります。「ボーダーフリー」というと聞こえはいいですが、要するに「どんな奴でも受ければ受かる」ということです。

九九ができない、アルファベットもまともに書けない大学生なんていうのが新聞を賑わせたことがありますが、それは今に始まったことではありません。馬鹿みたいに多くの学校に指定校推薦をだしたり、公募推薦をしたりして、最底辺高校からでも大学に行けるといった道筋を作ってしまった大学側の自業自得なのです。そもそも、底辺校では進学希望者が少ないのと生徒が理解できないからという理由で数兇農冓をやらないで終わってしまいますから、こんなのが推薦で理系学部なんかいったらどうなるかは火を見るより明らかですよね。

大切なのは大学名ではなく、実力だということもよく言われますが、正直に申し上げて、これだけ基礎学力が低い学生を抱えていて、どうやって実力をつけさせるのでしょうか。どこかで、私は繰り返し申し上げていますが、高校受験の15歳の段階でほぼ行ける大学のレベルも決まるといっても過言ではありません。この段階で特別な事情もなく底辺校しかいけないというのであれば、言葉を選ばず言わせていただければ、それは勉強に向いていないというしかないのではないでしょうか。

こういうこと言うと、すぐにエジソンだなんだを出して反論してくる人がいますが、何百年に一人の天才をダシにつかって自分の論理を正当化しようというのは、それこそ曲学阿世・三百代言の誹りを逃れられないでしょう。というより、アタマ悪いと私は思いますけど…。「○○という人もいる」という反論は一見聞こえがいいですが、そもそも例外のない意見・見解なんかあり得ないので、正確に言うと、反論ではないのです。こういうことばかり言う人は肩書がどんなに立派でもアホだと思っていいですよ(テレビではよくいますけど)

大学生の就職内定率が5割前後で最悪だといわれていますが、要するに大学生全体を母集団とした中で偏差値50以上でなければ就職できないということなのですよね。そうなると、Fラン大学の存在価値はなんだろうと思うのです。

企業の人事担当者の本音は有名大学の学生は10名採用して8名は使い物になるが、Fラン大学の学生は10名採用しても2名しか使い物にならない。それならば、使い物になる可能性の学生を採用したほうがいい、ということなのです。学歴差別はおかしいとか偉そうなこと言っているマスコミ各社でもFラン大学の学生が採用されることはありませんよね。

Fラン大学でも医療系学部で国家資格が取れるならともかく、それ以外では真剣に自分の行く大学を選別しなければなりません。というより、大学名にもう少し執着する必要があるのではないでしょうか。世間に流れる「きれいごと」に騙されてはいけません。

もし、スキルとつけるとしても、周囲が優秀な中でスキルとつけるのとそうでないのでは全く価値が違くということも知っておくべくでしょう。


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努力は必ず報われるって誰が言った?

  • 2011.05.05 Thursday
  • 01:49
 

別にネガなことを好んで書くつもりはないのですが、最近の子は大人が無責任な希望を持たせるよりも現実を知っておいたほうが、心の傷が少なくて済むようです。もっと簡単に言えば、打たれ弱すぎ、ガラスの少年・少女ばかりです。

極端に自分が傷つくのを恐れるあまり、石橋をたたいても渡らないといった生き方をしようとします。また、大人がそれを助長するように「無理をさせない」「のびのびやらせる」という自己正当化を平気でおこなうものだから、ますます萎縮してしまうのです。

これは、子供同様に、大人も自分が傷つくのがイヤというより、子供をダシにして、自分が冒険を主張して失敗した時の責任逃れにしか過ぎないと私は思っています。自分の信念が正しいと思えば、堂々と主張すればいいのです。最終的な判断は子供にさせても。

だいたい、どんなに努力したって報われる努力より、報われない努力のほうが多いということは社会生活をしてきた大人であればわかっているじゃないですか。しかも、現実社会では過程より結果が求められ、それで評価されるのですから、どうしてその真実を子供に伝えないのでしょうか。

そんな事実が見えないように努力を過大に評価することで目隠ししておいて、社会に放り出すほうが無責任極まりないと思うのです。だいたい報われない努力をしてきた人間が、努力は報われるなんて言うこと自体、滑稽なのです。

どんなに勉強しても一流大学の学歴が手に入らなければ、学歴社会的には結果として「負け」なんです。だから手に入らなかった学歴をロンダリングによって手に入れるか、希少価値のある資格を取得して自己ブランドを高めるなどの逆転ホームランを狙う工夫をするのです。

ですから、A大学はいけなかったけど、B大学もいい大学だから、頑張って4年間通いなさいよ、なんて言うのは何のフォローにもならないのです。そもそも、学歴なんか関係ないって言っている奴ほど高学歴だったり経済的に成功しているわけですから、説得力ありませんよね。高卒で就職がない、あっても年収200万円で預金もできない、結婚もできない、こういう人たちが学歴無用論を言って初めてそれは実効性をもつのです。

だから私は、報われない努力のほうが多いことを受験生に率直に伝えます。それが大人の責任だとも思うから。そして、最後に「君らの能力を信じる」と言うことにしています。ここにはひとかけらの嘘もありません。

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