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    なぜ自分で塾をやらないか

    • 2016.07.20 Wednesday
    • 03:22

    JUGEMテーマ:学問・学校

     

    前職時代の知り合いが、最近塾を始めました。私が前職を去ってから7年ほどの間に、自分で塾を始めた知り合いは4名ほどいまして、(その中のひとつが高校生をやっているので出講しているわけですが)中には2年目にして中学生だけで3ケタ以上の生徒を抱えているところもあります。


    私も前職を退職した当時は、知人・友人から自分で塾をやらないのか?と聞かれたことがあるのですが、私は、はなからそんな気はみじんもありませんでした。

    いい塾であれば、教師も働いてやりがいを感じているし、生徒も集まってくるというのはほぼ確かなことです。ですから「いい塾」を作れば正の歯車が回って、教師も生徒もwin-winの関係になるのです。ところが、この「いい塾」を作る自信が私にはなかったのです。

    ちなみに「いい塾」の定義は授業料が安いことでも合格実績が高いことでもありません(授業料を安く見せて、あとで数多くのオプションを取らせたり、合格実績なんかいくらでも『ズル』はできます)。教える側が無理をしても続きませんし、だからと言って時間から時間だけ教えてハイさようなら、では生徒も何のために来ているのかわからんのです。

    結局、教える側も教えられる側も真剣勝負を挑める場でないと、ブランド先行の塾には勝てません。

    それは教えるといった意味での「良さ」であって、経営となると話は別になるのです。他人を雇うとなると、そいつの人生まで背負わなければいけませんし、長く働いてもらうためには自分ひとり細々と食っていければいいというわけにもいかないのです。特に若い人にとって、これから自分の職場が大きくなり、それに自分も参画できるといった未来への『夢』が働くモチベーションになるのです。

    つまり拡大戦略がないと、数年毎に頼りにしていた中堅・ベテラン職員に逃げられ、教務力低下とともに生徒を減らし、振り出しに戻らざるを得なくなるのです。こうやっていつまでも大きくなれず、ついには消えていく塾がいくつもあります。

    となると、経営者としては拡大戦略のために生徒も増やす、売上も上げるといったことをせざるを得ません。それを思うと、先ほど申し上げた「良い塾」の姿と相反することも経営者としてしなければならないのです。


    正直、前職でそれを嫌というほど目にしてきましたし、立場上、クソみたいな、たいして価値の無い商品(特別授業や合宿など)の売上を出さなければならないとうことが、最大のストレスであり、そのひどさ加減に愛想つかして辞めたのですから、もう同じことをやりたくない、というのが本音だったのです。

    つまり、自分の良心に従って生きようとすれば、企業として成り立たず、企業として成り立たせるためには最初から拡大戦略をとらねばならず、まだ息子たちが大学生だったので、大きなリスクは取れない、そんな理由で最初から選択肢になかったのです。退職後、私が足の病気で長期入院したり、妻が脳梗塞になったりで、結果的にリスクをとらなかったことが正解になったわけですが、開業した知人たちは、いろいろそうした「しがらみ」が無かったので、清水の舞台から飛び降りることができたのでしょう。

    ある意味でうらやましいとも思うことがありますが、これも人生です。巡りあわせが悪ければどうにもならんのですよ。彼らの成功を切に祈っていますので、私でもよければ何時でもお手伝いに伺いますけどね。この歳になると、いくら稼げるかより、どれだけ好きにやらせてくれるかのほうが大切なんで…。私が楽しめればいいのですよ。

    チャンスがあるのに飛び込まない奴がいるか

    • 2016.07.14 Thursday
    • 23:41

    JUGEMテーマ:学問・学校

     

    今日はよく生徒に話すネタを…。

    ちょっと数字を出しながら話をしてみましょう。現在の18歳人口は約110万人。今後大きく変わらないか今後少しずつ減っていきます。この中で大学に進学する者は約50%。55万人といったところでしょうか。

    日本の頂点と言われる大学の東大・京大の定員は約6,000人。これと肩を並べる難しさを誇るのは?…そう国公立医学部ですね。その全国定員が4,600人。
    つまり、学歴のプラチナチケットを手に入れられるのは毎年10,000人もいるわけです。ちなみに、これ以外の国公立大学定員は約87,000人ですので、毎年、約100,000人、つまり、計算上受験者の5.5人にひとりは国公立大学に入学できるわけです。
    一方、日本最大と言われる河合塾の模試受験者は最大時で記述模試は約27万人。マーク模試で約40万人。国公立受験者が模試を一切受けず。しかもマーク模試だけ受けるなんてことは受験界の常識としてありませんからこの27万人のうち10,000番以内の成績をとれれば、胸を張って上記プラチナチケットを入手できる候補者となれるのです。そこまでいかずとも100,000番以内であれば国公立大学に行ける能力があるということになります。
    当然、上記のことは数字上のことではあり、経済的、家庭的制約から思うようにはいかないことも多いのですが、別に全国100番以内の成績をとれとか、ということを要求するわけではないのです。いいですか?10,000番以内でいいんですぜ。(東大・京大・医学部以外でも優秀なやつは相当数他大学に進学しますから、浪人がいるのどうのなんか無視して考えていいんです)。
    もっと卑近な例で言いましょうか。ほぼ全員が大学に進学する高校ではひとクラス36名のうち6番以内で国公立という計算になるのです。
    18歳人口が現在の2倍近くあった時代を知っている私にはこんなチャンスにに恵まれた環境はありえないと思うのですが、どうも、尻込みする奴らばかりなのですね。
    原因のひとつは彼らの親世代が自分の受験生時代を投影して、子供に無理だと言い聞かせているからでしょう。(子どもの能力を信じるなんて言っている方が多いのにねぇ…)確かに東大・京大・医学部は入るんが易しいとは言いませんが、母集団が大きく減っているのですから、ひと昔前なら冗談としか思えない生徒でもきちんと努力すれば受かる時代になってきたのです。なんで東大合格者を多数出す学校に新興勢力が増えたかと言うと、受けるから増えた、それが一番大きな理由なのです。
    勉強する科目が多くて大変だとか、自分は能力がないから無理だとかできない理由を並べている輩が多いのですが、センター試験レベルの問題で足切にあうような点数しか取れない奴はともかく、中心科目が水準以上なら十分チャンスが巡ってくるはずですし、高2あたりからしっかり用意しておけば十分間に合います。

    数年後、学歴フィルターにかかって卑屈になるくらいなら、なんでこの段階でチャンスを求めて飛び込まないのか?私はそう思うのです。

     

     

    勉強のやり方で将来性もわかる

    • 2016.07.09 Saturday
    • 10:49

    JUGEMテーマ:学問・学校

    最近、生徒を叱ったのは、高校生が学校の定期テスト勉強のために授業を休んだこと。そもそも、学校の定期テストは、普通はどの学校でも年間行事予定表で学年当初に予定が渡されており、いつやるかわかるはず。しかも中学校から通じて何度もやっているのだから、自分の能力的な準備期間及び授業進度から試験範囲は自ずからわかるはず。
    つまり、手の内はほとんどさらけ出されているわけでして、(よほど意地の悪い教師に当たらない限り)特別な準備が必要なわけないのです。これで相手の手の内がわからん受験勉強を休まなければならない理由はいったいどこにあるのでしょうか?しかも推薦入試を狙っているわけでもないのですから、内申の心配なんかする必要ないのに…。
    最近、目先の試験に追われ、少し先のことさえ考えられない高校生が妙に増えてきた感があります。思うにこれが普通の社会人の世界でしたら「後先を考えずに仕事をする」「同時に2つ以上の業務をこなせないばかりか、優先順位もつけられない」、つまり典型的な『使えない』奴の姿になるのです。
    いやしくも年長者として「教える」という立場にある以上、よほどの僥倖に恵まれない限り、自らの労働力を今後40年以上売りさばかなければいけない若者に長く売れる能力をつけてあげたいと思うのは当然じゃないでしょうか。
    受験勉強が意味ないとか無駄だとか言っている輩が多いのですが(言っている本人が高学歴なのが笑える)勉強内容そのものが社会にでて役に立つなんて誰も(先に社会に出た人は)思っていませんって。中世ヨーロッパの歴史を知らんでも死ぬまで働けますし、英語ができなくても殆んどの人は一生使わずに暮らしていけるのですよ。今の時代「いとをかし」なんて口にしたら精神状態を疑われますし…。せいぜい「教養」ということで片づけられてしまうのです。
    でも、あれだけ複数教科を同時並行で勉強し、苦手なものも他でカバーしたりナンとか格好のつく点数まで持って行くよう努力したりする頭の使い方を学ぶ機会はそうそうありません。そういう訓練を受けていなければ、文字どおり手取り足取りマニュアル通りにしか動けない人間にしかなれないのです。つまり、人間の形をした機械です。機械は優秀な機械ができれば取って代わられるのですから、IT化が進めば用済みです。
    こういうことは年長者がしっかりと教えなければならないのですが、わが国の年寄りは「知恵」より自分の「欲」が優先のようです
    から、このままじゃ将来誰もお前の墓参りに行かないぞ!と思うのであります。
    北条氏政の汁かけ飯の逸話(史実ではないらしいが)にあるように、この国のお先は北条氏になる恐れが多分にあります。蟷螂之斧といわれようが、私は少しでも頑固爺になって叱りつけるつもりです。

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